死刑(しけい)は、刑罰の一種で、対象者(受刑者)を殺す刑罰の総称である。生命刑(せいめいけい)、極刑(きょっけい)、処刑(しょけい)とも呼ばれる。英語ではCapital punishment(直訳すれば「頭への刑罰」)英語で【Capital】は「死に値する」という間接的用法もある
歴史的には、イギリス等のように窃盗罪といった微罪、もしくは不倫した女性といった道徳に反する罪に対しても死刑が適用されたが、21世紀現在、死刑を存置する国家では概ね他人の生命を奪う犯罪のうち、特に凶悪な犯罪者に対し死刑が適用される傾向がある。ただし国によっては麻薬密売や児童人身売買といった生命を奪わない犯罪や、戦時に軍隊からの脱走兵に対し適用される場合がある。
死刑の執行方法 [編集]
現在74カ国の死刑存置国で行われている、処刑方法は以下の通りである。
絞首刑 (エジプト、イラン、日本、韓国、ヨルダン、イラク、パキスタン、シンガポール他)
電気処刑 (米国アラバマ州、サウスカロライナ州、バージニア州、フロリダ州、ただし処刑対象者が薬殺刑を選択できる。電気処刑による死刑執行は米国ネブラスカ州で最後に行われていたが、2008年2月に同州最高裁判所が憲法違反判決を出した)
ガス殺刑(米国アリゾナ州、メリーランド州、ミズーリ州、カリフォルニア州、ミシシッピー州、ノースカロライナ州、コロラド州)
致死薬注射 (中国、グアテマラ、タイ、米国の死刑を執行している上記以外の州)
銃殺刑 (ベラルーシ、中国、北朝鮮、ソマリア、台湾、ウズベキスタン、ベトナム他)
斬首刑 (サウジアラビア、イラク)
石打ち刑 (アフガニスタン、イラン)
公開処刑は、中国、イラン、北朝鮮、サウジアラビアなどで行われる。また中国ではバスに死刑執行(薬殺刑)設備を積んだ移動死刑設備がある。
刑罰の一覧を参照。
死刑の執行、つまり人を殺すという行為を実際に行う者を死刑執行人と呼ぶ。 ヨーロッパ諸国では中世時代から死刑執行を業務とする死刑執行人が存在しており、死刑制度廃止まで存続していた。 アメリカや日本などでは刑務官が行っている。
死刑制度の是非については世界的に多くの議論があり、死刑制度を設けている国と設けていない国がある。また、法律上は死刑制度を設けていても実際には死刑を執行していない国もある。また、一般犯罪においては死刑を廃止し、国事犯(外患誘致やスパイ行為など)や軍事法廷(軍法会議)における脱走罪・敵前逃亡・利敵行為などに対してのみ死刑を残している国もある。
死刑の法的根拠 [編集]
刑罰は応報的な面があるのは事実であるが、死刑が社会的存在を消し去るものであるため、死刑が近代刑罰が忌諱する応報的な刑罰ではないとする法学的根拠が必要とされている。一般予防説に従えば、「死刑は、犯罪者の生を奪うことにより、犯罪を予定する者に対して威嚇をなし、犯罪を予定する者に犯行を思い止まらせるようにするために存在する。」ということになる。
特別予防説に従えば、「死刑は、矯正不能な犯罪者を一般社会に復して再び害悪が生じることがないようにするために、犯罪者の排除を行う。」ということになる。
日本やアメリカなど、死刑対象が主に殺人以上の罪を犯した者の場合、死刑は他人の生命を奪った(他人の人権・生きる権利を剥奪した)罪に対して等しい責任(刑事責任)を取らせることということになる。
一般的な死刑賛成論者は予防論と応報刑論をあげるが、応報論の延長として敵討つまり、殺人犯に対する報復という発想もある。近代の死刑制度は、被害者のあだ討ちによる社会秩序の弊害を国家が代替することで無くす側面も存在する。国家の捜査能力が低い近代以前は、むしろ仇討ちを是認あるいは義務としていた社会もあり、それは被害者家族に犯罪者の処罰の責任を負わせて、以て捜査、処罰などの刑事制度の一部を構成させていたという側面もある。
殺人などの凶悪犯罪では、裁判官が量刑を決める際に応報は考慮されている。基本的には近代刑法では応報刑を否認する事を原則としているが、実際の懲役刑の刑期の長短などは被害者に与えた苦痛や、自己中心的な感情による犯行動機があるなど酌量すべきでないなど、応報に基づいておこなれている。ただし、死刑の執行方法は被害者と同様(たとえば焼死させたからといって火あぶりに処すなど)の処刑方法でなく、「人道的」な方法が取られる。
日本では日本国憲法下で初めて死刑を合憲とした判決(死刑制度合憲判決事件、最高裁判所昭和23年3月12日大法廷判決)において、応報論ではなく威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲とされた。
抑止効果 [編集]
個別の刑罰の抑止効果は、死刑、終身刑およびほかの懲役刑も含めて、統計上効果が実証されていない。一般論として、死刑反対派は「死刑による犯罪抑止効果の統計的証拠がないこと」、死刑賛成派は「死刑代替終身刑による威嚇効果が十分でないこと」を指摘する。抑止効果の分析方法には地域比較と歴史的比較がある。地域比較では国や州の制度の違いによって比較が行われる。
地域比較としては、アメリカの死刑制度の無い州に比べて死刑制度のある州の凶悪犯罪発生率は統計的に高い。反対派はこれは抑止効果の不在とし、賛成派はこれは高い犯罪率に対する州政府の対応の結果であると主張する。主要工業国(先進国・準先進国)で死刑を実施している国としては、日本、アメリカ、シンガポール、台湾などがあるが、アメリカでの犯罪率が高く他国は犯罪率が低いという事情もあり、国家や州の比較、すなわち地域比較そのものに意味がないとの意見もある[要出典]。また、トータルの犯罪率とそのなかの部分でしかない死刑との直接的関係を問う方法にも疑問がある[要出所明記](全ての犯罪が死刑に直結するわけではないし、無関係なものが大部分である)。
時代的比較では、死刑が廃止された国での廃止前・廃止後を比較する試みがされる。しかし様々な制度や文化、教育、経済など様々な社会環境の変化も伴うため、分析者によってさまざまな結論が導き出されており、それだけを取り出して検討するのは困難である。ただし廃止後に劇的に犯罪が増加・凶悪化した典型的ケースはこれまでにはないが、劇的に犯罪が減少したケースもない。
精神状態が健常な死刑囚に聞き取りを行った際に、ほとんどの者が死刑に多少なりとも恐怖を感じていると告白しているため、死刑囚個人に対しては威嚇効果がある。死刑という制度自体が犯罪の抑止効果があるかは前述でも述べられているが不明である。
「死刑制度があることで犯罪者が死刑の存在を自覚することになり、死刑適用犯罪の抑止に繋がる」との主張は根強いものがある。例えば、鳩山邦夫が2007年8月29日のNHKのインタビューで語ったところによれば「これはやっぱり犯罪の未然防止ですよ。ひっどい凶悪な事件を起こせば、自分の命が絶たれる、死刑というものがある、その死刑が執行される。ということがあるから思いとどまる。だから私は死刑は廃止してはならないし、死刑執行も停止してはならないと思います。それは安全な世の中を作る為の第一歩ですよ」として犯罪者に対する威嚇効果が期待できると主張しており、法の秩序維持のためには死刑の威嚇力はまだまだ有効であるという。
事実、個別の事件を見ると、犯罪者が死刑の存在を意識することで、死刑が適用されるような凶悪な次の犯罪を躊躇したりする場合もすくなくない。そのため、死刑制度の存在が新たな犯罪の発生と事件の解決に繋がるとの見方も当然できる。また日本の刑法では捜査機関が認知していない犯罪行為を告知する自首(出頭とは別物)した犯罪者に対し、刑事罰を軽減もしくは免除する規定があり、死刑になるような犯罪でも裁判所が「自首」を認定すれば、刑が減刑される場合もある。一方で、この自首制度に対し、一方ではたとえ凶悪な犯罪を犯したものであっても捜査機関に協力し「自首」が認定[1]されれば、減刑されるため一種の司法取引との批判もある。またアメリカ合衆国では死刑判決が確実な犯罪であっても、犯罪事実を認めれば司法取引によって「終身刑」に減刑されている実例もあり、死刑制度の本来の主旨に反しているとの批判もある。
犯罪者に対する抑止力に有効との主張に対し、精神科医・作家の加賀乙彦は著書『死刑囚と無期囚の心理』の中で、確定死刑囚44人を調査した結果、犯行前や犯行中に自分が犯している殺人行為によって死刑になるかどうかを考えた者はいなかったという。また、犯行後に死刑を回避するため目撃者さえ殺害したものまでいたため、無我夢中に殺人をしたものに対する犯罪抑止力は殆ど期待できないとしている。ただし、死刑の可能性を考慮して殺人行為を思い止まった者は、当然、死刑囚にはならないので、死刑の抑止力が働かなかった者だけを例にあげて死刑の抑止力がないと主張するのは詭弁であるとの批判も存在する[要出所明記]。
しかしながら、附属池田小事件を引き起こし死刑が執行された宅間守のように動機が「死にたいから、死刑になるために事件を引き起こした」といった者や、ピアノ殺人事件のように、死にたいがために殺人を犯した者については、威嚇効果は全く無いと主張する者もいる。このような動機による殺人を「拡大自殺」と呼ばれる。実際にこのような犯行を犯したものは僅かであるが、いずれも死刑判決を確実にするために大量殺人を意図する場合が多い。
また抑止効果であるが自分自身の生命すら省みない自暴自棄な者や、殺人による快楽のみを追い求める自己中心的なシリアルキラーには抑止力が働かない可能性が高い。実際に後述のように自ら贖罪の為ではなく現世からの逃避のために死刑に自らなるもの少なからず存在する為である。宮本倫好の『死刑の大国アメリカ』(亜紀書房刊)によれば、アメリカでは死刑制度のある州でわざわざ無差別に殺人を犯すケースがいくつも存在するほか、死刑廃止州で終身刑で服役している囚人が死刑存置州で引き起こした殺人事件を告白し、自ら望んで死刑になるものも少なくないという。例えば、死刑制度のないミシガン州から死刑存置州のイリノイ州に転居して8人を殺害したリチャード・スペックや、死刑廃止州のミネソタ州と死刑存置州のアイオワ州の双方で殺人を犯したチャールズ・ケリーやチャールズ・ブラウンはいずれもアイオワ州で裁判を希望して死刑を受け入れたという。また、死刑執行直前になってもアルバート・フィッシュは「最高のスリル」と待望していたとの説があるが、彼のようなシリアルキラーは他人の生命ばかりか自身の生命の保持すら関心がないので、死刑になることを恐れないなど、自己保身のために犯行を躊躇することはない。死刑の威嚇効果が期待できないとの指摘もある。
このようなシリアルキラー達の死刑願望からの犯罪を防ぐことを理由に死刑制度廃止を唱えることに懐疑的な意見[2]もある。
また、アメリカ合衆国の元死刑囚ゲイリー・ギルモアのように「死刑囚の死ぬ権利」を求めた事例も少なくないため、死刑囚に残された最後の「権利」であるとの主張もある。ただし、このような死刑囚は改悛の情や贖罪の情といった自己の犯罪に対する反省の感情は見られないのはいうまでもない。なお、「死刑制度は必要である」と主張していた刑法学者の植松正は、「大量殺人を含めいかなる罪を犯しかさねようと犯人の生命を法が絶対的に保障するのは妥当ではない。よって、そのような凶悪犯の死刑は生命を保証するわけにはいかないため、致し方ない」という主張[3]をしている。
以上のことから死刑の威嚇力とは、「凶悪な手段で人を殺せば死刑になる場合もありえる」との通常の判断力を持つ一般市民には有効であるが、死刑になるような事件を引き起こす凶悪犯罪者に対しては、一部とはいえ抑止力が無力である場合も存在し、なかには自身の破滅願望を実現する手段として悪用される場合すらある。このように死刑制度を自らの破滅願望実現の手段に悪用する、一部の犯罪者に対して死刑の威嚇力を逆に悪用している犯罪も現実に存在している。当然のことであるが、このような自分から望んで死刑になった者にとって、死を待望したわけであり刑罰とはならないといえる。そのため、死刑に関する情報公開によって、罪と罰について啓発する必要性を説くものもいる
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