2009年06月15日

ワインの醸造の過程では補糖が行われる場合がある

補糖と補酸
ワインの醸造の過程では補糖が行われる場合がある。補糖の目的は、果汁の糖度の不足を補い、アルコール度数を高め、赤ワインでは色を濃くすることにある。また、果汁の酸の不足を補うために補酸が行われる場合があるが、過剰な酸を含む場合は除酸も行われる。多くの国では、この2つの同時使用は認められておらず、またどちらかが法律で禁止されている場合もある。例えば、ボルドー、ブルゴーニュでは同時使用が禁止され、カリフォルニア、オーストラリアでは補糖が禁止されている。
炭酸ガス浸漬法
果実味に富んだ鮮やかな色とタンニンの少ないワインの醸造に用いられる。炭酸ガス浸漬法は、果実を房のまま入れた容器を密閉し、炭酸ガスを充満させて行う特殊な発酵方法で、「マセラシオン・カルボニック」や「カーボニック・マセレーション」とも呼ばれる。葡萄は果粒中の酵素によりアルコール(1.5?2.5%)を生じ、数日後に搾汁し補糖をして酵母による発酵へと移る。短期間で作られ、毎年11月の第3木曜日が解禁となる「ボジョレー・ヌーヴォー」もこの製法で作られる。数十年といった長期保存には向かない。
果汁再添加
ワインの生産過程で時に、果汁再添加(果汁再配合)が行われることがある。これは発酵により失われた香りや甘味を補うためで、主としてアルコール度数の低い日常消費用の甘口ワインに用いられる。ドイツで多く見られる技法で、添加される果汁は多くの場合、搾汁した際に醸造用とは別に保存していたものを混合する。「ジュースリザーヴ」あるいは「ズュースレゼルヴ」ともいう。

特殊な製法のワイン [編集]
発泡ワイン
発泡ワインは、瓶内二次発酵などの製法により製造される発泡性のワインである。フランスのシャンパン、スペインのカバ、ドイツのゼクト、イタリアのスプマンテ等がある。
酒精強化ワイン
酒精強化ワインは、発酵の途中でブランデーなどブドウを原料としたアルコールを添加して発酵を止めたもので、糖分の多く残ったワインができあがる。スペインのシェリー、ポルトガルのポートワイン・マデイラが代表的で、これらは三大強化ワインと呼ばれることもある。酒税法では甘味果実酒にあたる。
貴腐ワイン
貴腐ワインは、ボトリティス・シネレアという貴腐菌がついた葡萄から作ったワインのことを指す。貴腐菌により果皮に無数の穴が開き、そこから余分な水分が蒸発して糖度が上がり、非常に甘いワインとなる。また菌による代謝を受けるため組成成分が変化し、貴腐香と呼ばれる独特の香りを持つ。食後酒・デザートワインとして珍重される。フランスのソーテルヌやハンガリーのトカイがとくに有名であり、オーストリアの「ノイジードラーゼー」やドイツの「ベーレンアウスレーゼ」や「トロッケンベーレンアウスレーゼ」も貴腐ワインとなる。
ブレイクダンス
大気化学
ヒッチハイク
投扇興
ラクロス
ダイエット
ロデオ
フードテーマパーク
ホッケー
ルームシェア
日本の演劇
熊本の湯めぐり
食の文化
お寺案内
骨の調べ
地震のおこり
筋肉事典
湯・香川
アロマ広場
チョコレート戦争

アイスワイン
アイスワインは、天然状態で凍ったブドウから生産されるワインである。水分は凍るが糖やその他の固体成分は凍らないため果汁が濃縮され、非常に甘いワインとなる。天然に濃縮された果汁を発酵させる点は貴腐ワインと同じだが、アイスワインはボトリティス・シネレアの影響は受けていないため貴腐香は持たない。
アイスワインの誕生はドイツのフランケン地方であった。ブドウ畑が予想していない寒波におそわれてしまいブドウが凍ってしまった。諦めきれなかった農民たちは、凍ってしまったブドウでワインを造ったところ、とても糖度が高く美味しいワインとなっていた。この偶然からアイスワインが作られるようになった。当時は非常に貴重で高価だったため貴族の飲み物であった。
アイスワインとして最も有名なものはドイツのアイスヴァイン(Eiswein)であるが、カナダやオーストリアでも造られている。世界最大のアイスワイン生産国は安定した寒さが得られるカナダであり、本家ドイツを上回る高い評価を受けている。また、ナイアガラ地方にはアイスワインの生産で世界最大のワイナリーが存在する。日本ではアイスワインを定義する法律がないためにフルーツワインをアイスワインと称して販売しても違法ではないが、カナダ、ドイツ、オーストリアにおいてはアイスワインと名乗るためには、原料、収穫方法、温度などの厳格な基準を満たす必要がある。
氷結ワイン
氷結ワインは、冷蔵庫を用いて人工的にブドウを凍らせ、アイスワインと同様に水分を除いて濃縮された果汁を醸造するワインである。非常に甘い濃厚なワインとなる。
麦わらワイン(干しぶどうワイン)
麦わらワインまたは干しぶどうワインとは、収穫後に筵や藁の上で乾燥させて糖度を高めた葡萄から作られるワインのことを指す。貴腐ワインやアイスワインと同様に濃厚な甘口ワインとなるが、特徴的な干しぶどうの風味を持つ。麦わらワインは、フランスでは「ヴァン・ド・パイユ」、イタリアでは「パシート」、オーストリアでは「シュトローヴァイン」などと呼ばれている。ドイツでは法改正の影響で現在は製造されていない。
にごりワイン
にごりワインとは、発酵途中の「もろみ(甘さが残った)」を濾過をしない状態で瓶詰めしたもの。瓶中に残る果実繊維や酵母、酒石酸などによりアルコール感を低減させ、ワインの苦手な方も美味しく楽しめる味わいが特徴である。特に秋の新酒の時期に楽しまれているが、最近では「葡萄」に限らず「梅」「ブルーベリー」等フルーツ原料のものも増えている。
シュール・リー
白ワインでオリ引きをせずに熟成させたもの。ロワール河河口地域に古くから伝わる方法。日本では、5ヶ月以上の接触を必要とし且つ6月30日までに瓶詰めされた物と規定している。[6]6月30日という期日は夏期の高温による品質劣化を防ぐ為に定められている。
フレーバードワイン
フレーバードワインは、普通のワインにブドウ以外の果実、果汁、香草、薬草などを加え、香りを付けたものである。カクテルのマティーニの材料としても使用されるベルモットや、サングリアなどが知られる。

2009年05月29日

ライプニッツの「普遍言語」

近世においてはライプニッツが今日の数理論理学の先駆となる「普遍言語」を構想した。これは多種多様な自然言語に対して、命題の統一的記述を与える人工言語の構想である。ライプニッツ=ヴォルフ学者に属する哲学者バウムガルテンは、伝統的な上級認識能力すなわち理性の論理学に対して、下級認識能力の論理学としての感性学を提唱し、これをギリシア語で感覚を意味する aisthesis によって aesthetica と名づけた。ここから今日の美学が哲学の領域として確立していく。

19世紀後半にはジョージ・ブール、オーガスタス・ド・モルガン、ゴットロープ・フレーゲなどが言葉の代わりに数学の演算規則をあてはめ、「概念」や「観念」を記号に変換して研究する数理論理学(記号論理学)を整備し、大きな研究成果をあげた。

これらの論理学の大きな特徴のひとつは、アリストテレス以来の諸命題の関係を問う命題論理ではなく、主語と述語の関係を問う述語論理を扱うことである。また古典論理学では十分でなかった全称命題と単称命題の関係が量化子の導入によって明確にされた。

アリストテレスの論理学以来はじめて、論理学の世界に革命を起こしたのは20世紀初頭のバートランド・ラッセルである。彼は数学は論理学の一分科に過ぎないとする論理主義を提唱し、その著書『数学原理』 (Principia Mathematica)(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドと共著)において、述語論理の基礎法則を用いて、無から数学の全体系を再構築しようと試みた。この試みによって、形式論理学が数学において強力な道具になるということを示した。
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ラッセルらの仕事を引き継いだのがダフィット・ヒルベルトである。ヒルベルトは完全性と無矛盾性を併せもつような数学全体を導くためには、適切な公理系を見出すことが重要であることを明らかにし、それを見出そうと試みたが(ヒルベルト・プログラム)、実現することはできなかった。

1930年、クルト・ゲーデルによって不完全性定理が発見された。 これは「自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在する」というものである(ゲーデル自身は弱い形で示したが一般化された)。 すなわち、二階述語論理より強い表現力をもつ公理系(これには算術体系が含まれる)においては、立証も反証もできない灰色の領域が必ず存在することが示されたのである。これによって、論理によって万物を解き明かそうという、ラッセルやヒルベルトの野望は完全に潰えた。

2009年04月26日

太上皇

太上皇(たいじょうこう)は退位した存命の皇帝に送られる尊号。「太上」とは「最高の」の意。日本では上皇とも呼ばれる
上皇の后妃は皇太后ないし太皇太后である。

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西晋の孝恵帝、唐の高祖、睿宗、玄宗、南宋の高宗、明の英宗、清の乾隆帝等がいる。また、日本の後高倉法皇のように帝位には即かなかったものの、没後若しくは存命中に子が皇帝となり王朝を開いたが故に、太上皇の称号を贈られた例として、秦の始皇帝の父・荘襄王、漢の高祖の父・劉太公がいる。

韓国
李氏朝鮮では、1897年10月12日、高宗 (朝鮮王)が国号を大韓帝国とし朝鮮初の皇帝に即位をしたが、近隣諸国の内政に対する介入がある中で、親露政策をとり、日本の干渉の排除を志向した。その象徴的な出来事がハーグ密使事件であり、朝鮮に対する日本の支配を排除するため、その不合理を国際社会に訴えたが、これが頓挫した上、日本との関係をより悪化させた。そのため李完用など親日派勢力により皇帝の退位が画策され、7月20日、皇太子への譲位に追い込まれ太上皇となった。太上皇、太上天皇といった東アジアの上皇としては最後の例となる。

ベトナム
ベトナムにおける太上皇の称号は中国や韓国と異なり、国内に限り君主号としての意味を持っていた。 歴代王朝は代々中国皇帝に朝貢をしていたが、一方で皇帝がその諱(本名)を他国に知られてその臣下扱いされることを潔しとしなかった。そこで皇帝が早い段階で後継者に帝位を譲って太上皇となり王室内の最高意思決定と対外(中国)交渉を行い、皇帝は内政一般を扱うという慣習が成立した。このため、中国への朝貢は太上皇が「国王」を名乗って行っており、中国正史とベトナムの正史が伝えるベトナム君主の在位には一代ずつのずれが生じているといわれている。


2009年04月09日

死刑

死刑(しけい)は、刑罰の一種で、対象者(受刑者)を殺す刑罰の総称である。生命刑(せいめいけい)、極刑(きょっけい)、処刑(しょけい)とも呼ばれる。英語ではCapital punishment(直訳すれば「頭への刑罰」)英語で【Capital】は「死に値する」という間接的用法もある

歴史的には、イギリス等のように窃盗罪といった微罪、もしくは不倫した女性といった道徳に反する罪に対しても死刑が適用されたが、21世紀現在、死刑を存置する国家では概ね他人の生命を奪う犯罪のうち、特に凶悪な犯罪者に対し死刑が適用される傾向がある。ただし国によっては麻薬密売や児童人身売買といった生命を奪わない犯罪や、戦時に軍隊からの脱走兵に対し適用される場合がある。

死刑の執行方法 [編集]
現在74カ国の死刑存置国で行われている、処刑方法は以下の通りである。

絞首刑 (エジプト、イラン、日本、韓国、ヨルダン、イラク、パキスタン、シンガポール他)
電気処刑 (米国アラバマ州、サウスカロライナ州、バージニア州、フロリダ州、ただし処刑対象者が薬殺刑を選択できる。電気処刑による死刑執行は米国ネブラスカ州で最後に行われていたが、2008年2月に同州最高裁判所が憲法違反判決を出した)
ガス殺刑(米国アリゾナ州、メリーランド州、ミズーリ州、カリフォルニア州、ミシシッピー州、ノースカロライナ州、コロラド州)
致死薬注射 (中国、グアテマラ、タイ、米国の死刑を執行している上記以外の州)
銃殺刑 (ベラルーシ、中国、北朝鮮、ソマリア、台湾、ウズベキスタン、ベトナム他)
斬首刑 (サウジアラビア、イラク)
石打ち刑 (アフガニスタン、イラン)
公開処刑は、中国、イラン、北朝鮮、サウジアラビアなどで行われる。また中国ではバスに死刑執行(薬殺刑)設備を積んだ移動死刑設備がある。
刑罰の一覧を参照。
死刑の執行、つまり人を殺すという行為を実際に行う者を死刑執行人と呼ぶ。 ヨーロッパ諸国では中世時代から死刑執行を業務とする死刑執行人が存在しており、死刑制度廃止まで存続していた。 アメリカや日本などでは刑務官が行っている。

死刑制度の是非については世界的に多くの議論があり、死刑制度を設けている国と設けていない国がある。また、法律上は死刑制度を設けていても実際には死刑を執行していない国もある。また、一般犯罪においては死刑を廃止し、国事犯(外患誘致やスパイ行為など)や軍事法廷(軍法会議)における脱走罪・敵前逃亡・利敵行為などに対してのみ死刑を残している国もある。

死刑の法的根拠 [編集]
刑罰は応報的な面があるのは事実であるが、死刑が社会的存在を消し去るものであるため、死刑が近代刑罰が忌諱する応報的な刑罰ではないとする法学的根拠が必要とされている。一般予防説に従えば、「死刑は、犯罪者の生を奪うことにより、犯罪を予定する者に対して威嚇をなし、犯罪を予定する者に犯行を思い止まらせるようにするために存在する。」ということになる。

特別予防説に従えば、「死刑は、矯正不能な犯罪者を一般社会に復して再び害悪が生じることがないようにするために、犯罪者の排除を行う。」ということになる。

日本やアメリカなど、死刑対象が主に殺人以上の罪を犯した者の場合、死刑は他人の生命を奪った(他人の人権・生きる権利を剥奪した)罪に対して等しい責任(刑事責任)を取らせることということになる。

一般的な死刑賛成論者は予防論と応報刑論をあげるが、応報論の延長として敵討つまり、殺人犯に対する報復という発想もある。近代の死刑制度は、被害者のあだ討ちによる社会秩序の弊害を国家が代替することで無くす側面も存在する。国家の捜査能力が低い近代以前は、むしろ仇討ちを是認あるいは義務としていた社会もあり、それは被害者家族に犯罪者の処罰の責任を負わせて、以て捜査、処罰などの刑事制度の一部を構成させていたという側面もある。

殺人などの凶悪犯罪では、裁判官が量刑を決める際に応報は考慮されている。基本的には近代刑法では応報刑を否認する事を原則としているが、実際の懲役刑の刑期の長短などは被害者に与えた苦痛や、自己中心的な感情による犯行動機があるなど酌量すべきでないなど、応報に基づいておこなれている。ただし、死刑の執行方法は被害者と同様(たとえば焼死させたからといって火あぶりに処すなど)の処刑方法でなく、「人道的」な方法が取られる。

日本では日本国憲法下で初めて死刑を合憲とした判決(死刑制度合憲判決事件、最高裁判所昭和23年3月12日大法廷判決)において、応報論ではなく威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲とされた。

抑止効果 [編集]
個別の刑罰の抑止効果は、死刑、終身刑およびほかの懲役刑も含めて、統計上効果が実証されていない。一般論として、死刑反対派は「死刑による犯罪抑止効果の統計的証拠がないこと」、死刑賛成派は「死刑代替終身刑による威嚇効果が十分でないこと」を指摘する。抑止効果の分析方法には地域比較と歴史的比較がある。地域比較では国や州の制度の違いによって比較が行われる。

地域比較としては、アメリカの死刑制度の無い州に比べて死刑制度のある州の凶悪犯罪発生率は統計的に高い。反対派はこれは抑止効果の不在とし、賛成派はこれは高い犯罪率に対する州政府の対応の結果であると主張する。主要工業国(先進国・準先進国)で死刑を実施している国としては、日本、アメリカ、シンガポール、台湾などがあるが、アメリカでの犯罪率が高く他国は犯罪率が低いという事情もあり、国家や州の比較、すなわち地域比較そのものに意味がないとの意見もある[要出典]。また、トータルの犯罪率とそのなかの部分でしかない死刑との直接的関係を問う方法にも疑問がある[要出所明記](全ての犯罪が死刑に直結するわけではないし、無関係なものが大部分である)。

時代的比較では、死刑が廃止された国での廃止前・廃止後を比較する試みがされる。しかし様々な制度や文化、教育、経済など様々な社会環境の変化も伴うため、分析者によってさまざまな結論が導き出されており、それだけを取り出して検討するのは困難である。ただし廃止後に劇的に犯罪が増加・凶悪化した典型的ケースはこれまでにはないが、劇的に犯罪が減少したケースもない。

精神状態が健常な死刑囚に聞き取りを行った際に、ほとんどの者が死刑に多少なりとも恐怖を感じていると告白しているため、死刑囚個人に対しては威嚇効果がある。死刑という制度自体が犯罪の抑止効果があるかは前述でも述べられているが不明である。

「死刑制度があることで犯罪者が死刑の存在を自覚することになり、死刑適用犯罪の抑止に繋がる」との主張は根強いものがある。例えば、鳩山邦夫が2007年8月29日のNHKのインタビューで語ったところによれば「これはやっぱり犯罪の未然防止ですよ。ひっどい凶悪な事件を起こせば、自分の命が絶たれる、死刑というものがある、その死刑が執行される。ということがあるから思いとどまる。だから私は死刑は廃止してはならないし、死刑執行も停止してはならないと思います。それは安全な世の中を作る為の第一歩ですよ」として犯罪者に対する威嚇効果が期待できると主張しており、法の秩序維持のためには死刑の威嚇力はまだまだ有効であるという。

事実、個別の事件を見ると、犯罪者が死刑の存在を意識することで、死刑が適用されるような凶悪な次の犯罪を躊躇したりする場合もすくなくない。そのため、死刑制度の存在が新たな犯罪の発生と事件の解決に繋がるとの見方も当然できる。また日本の刑法では捜査機関が認知していない犯罪行為を告知する自首(出頭とは別物)した犯罪者に対し、刑事罰を軽減もしくは免除する規定があり、死刑になるような犯罪でも裁判所が「自首」を認定すれば、刑が減刑される場合もある。一方で、この自首制度に対し、一方ではたとえ凶悪な犯罪を犯したものであっても捜査機関に協力し「自首」が認定[1]されれば、減刑されるため一種の司法取引との批判もある。またアメリカ合衆国では死刑判決が確実な犯罪であっても、犯罪事実を認めれば司法取引によって「終身刑」に減刑されている実例もあり、死刑制度の本来の主旨に反しているとの批判もある。

犯罪者に対する抑止力に有効との主張に対し、精神科医・作家の加賀乙彦は著書『死刑囚と無期囚の心理』の中で、確定死刑囚44人を調査した結果、犯行前や犯行中に自分が犯している殺人行為によって死刑になるかどうかを考えた者はいなかったという。また、犯行後に死刑を回避するため目撃者さえ殺害したものまでいたため、無我夢中に殺人をしたものに対する犯罪抑止力は殆ど期待できないとしている。ただし、死刑の可能性を考慮して殺人行為を思い止まった者は、当然、死刑囚にはならないので、死刑の抑止力が働かなかった者だけを例にあげて死刑の抑止力がないと主張するのは詭弁であるとの批判も存在する[要出所明記]。

しかしながら、附属池田小事件を引き起こし死刑が執行された宅間守のように動機が「死にたいから、死刑になるために事件を引き起こした」といった者や、ピアノ殺人事件のように、死にたいがために殺人を犯した者については、威嚇効果は全く無いと主張する者もいる。このような動機による殺人を「拡大自殺」と呼ばれる。実際にこのような犯行を犯したものは僅かであるが、いずれも死刑判決を確実にするために大量殺人を意図する場合が多い。

また抑止効果であるが自分自身の生命すら省みない自暴自棄な者や、殺人による快楽のみを追い求める自己中心的なシリアルキラーには抑止力が働かない可能性が高い。実際に後述のように自ら贖罪の為ではなく現世からの逃避のために死刑に自らなるもの少なからず存在する為である。宮本倫好の『死刑の大国アメリカ』(亜紀書房刊)によれば、アメリカでは死刑制度のある州でわざわざ無差別に殺人を犯すケースがいくつも存在するほか、死刑廃止州で終身刑で服役している囚人が死刑存置州で引き起こした殺人事件を告白し、自ら望んで死刑になるものも少なくないという。例えば、死刑制度のないミシガン州から死刑存置州のイリノイ州に転居して8人を殺害したリチャード・スペックや、死刑廃止州のミネソタ州と死刑存置州のアイオワ州の双方で殺人を犯したチャールズ・ケリーやチャールズ・ブラウンはいずれもアイオワ州で裁判を希望して死刑を受け入れたという。また、死刑執行直前になってもアルバート・フィッシュは「最高のスリル」と待望していたとの説があるが、彼のようなシリアルキラーは他人の生命ばかりか自身の生命の保持すら関心がないので、死刑になることを恐れないなど、自己保身のために犯行を躊躇することはない。死刑の威嚇効果が期待できないとの指摘もある。

このようなシリアルキラー達の死刑願望からの犯罪を防ぐことを理由に死刑制度廃止を唱えることに懐疑的な意見[2]もある。

また、アメリカ合衆国の元死刑囚ゲイリー・ギルモアのように「死刑囚の死ぬ権利」を求めた事例も少なくないため、死刑囚に残された最後の「権利」であるとの主張もある。ただし、このような死刑囚は改悛の情や贖罪の情といった自己の犯罪に対する反省の感情は見られないのはいうまでもない。なお、「死刑制度は必要である」と主張していた刑法学者の植松正は、「大量殺人を含めいかなる罪を犯しかさねようと犯人の生命を法が絶対的に保障するのは妥当ではない。よって、そのような凶悪犯の死刑は生命を保証するわけにはいかないため、致し方ない」という主張[3]をしている。

以上のことから死刑の威嚇力とは、「凶悪な手段で人を殺せば死刑になる場合もありえる」との通常の判断力を持つ一般市民には有効であるが、死刑になるような事件を引き起こす凶悪犯罪者に対しては、一部とはいえ抑止力が無力である場合も存在し、なかには自身の破滅願望を実現する手段として悪用される場合すらある。このように死刑制度を自らの破滅願望実現の手段に悪用する、一部の犯罪者に対して死刑の威嚇力を逆に悪用している犯罪も現実に存在している。当然のことであるが、このような自分から望んで死刑になった者にとって、死を待望したわけであり刑罰とはならないといえる。そのため、死刑に関する情報公開によって、罪と罰について啓発する必要性を説くものもいる

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2009年03月25日

襲の色目(かさねのいろめ)

襲の色目(かさねのいろめ)は女房装束の袿の重ね(五つ衣)に用いられた襲色目の一覧。(参考:満佐須計装束抄)
ヤーダ ひまわり ヘンチック ロミア シロタ イングラ カフジ はばたけ チンナカ テライト オーツ インチ ウバナ ミクロン スカウト ドットコム ティアラ きょうせい ニードル シュート ヒュー パート フラッ バタフライ メイド ケミカ 大葉春菊 一寸法師 ポリス ギアナ ニガナ リルフール フィック バネー ビー玉流し ダンディ インプット らんぐい ムール ものう ユニーク ムベ ジップア のぎつね ロッテル モヘンジ ハウス タンドー ブロージ リグニン

(織糸で表わす織の色目は「織色」、狩衣の表裏で表わす重ねの色目は「色目」を参照のこと) 当時の絹は非常に薄く裏地の色が表によく透けるため、独特の美しい色調が現れる。

一覧の見方は、各小見出しごとに着用時期を、太字が名称を表わし、一番上に重ねる衣から順に表(裏)の色を書いて行き最後が単(ひとえ)のいろになる。

色や名称、その他の事項については末尾の()内に記す。

古代?中世の青は、キハダなどで下染めした上に藍をかけて色を出す。やや青みがかった緑。現在の青に当たる色は縹(はなだ)と呼ばれる。
蘇芳
マメ科の熱帯植物スオウから採取した染料で染める。濃蘇芳は黒っぽい赤紫、中蘇芳(蘇芳)は鮮やかな赤紫に近いピンク、淡蘇芳は紫味のピンク
萌黄
黄緑色。語感から若向きの色とされた。同名の重ねでも青などの代わりに萌黄が入るバージョンは若者向けであることが多い。
紅梅
諸説有るが、平安時代頃は紅梅の花のようなやや紫がかった濃いピンクのことと思われる。
朽葉
黄色い落ち葉をさす色で、平安時代は赤みがかったあざやかな黄色。

春夏秋冬に着るいろいろ。祝いに着るいろいろ (四季通用・儀式固定など) [編集]
裏濃蘇芳(うらこきすはう):蘇芳(濃蘇芳)・同・同・同・同・青。(蘇芳は赤紫、当時の「青」とは現代の緑のこと)
蘇芳の匂(すはうのにほひ):淡蘇芳(淡蘇芳)・同・蘇芳(蘇芳)・同・濃蘇芳(濃蘇芳)・青。(匂は濃淡のグラデーションのこと)
松重(まつかさね):蘇芳(蘇芳)・淡蘇芳(淡蘇芳)・萌黄(萌黄)・淡萌黄(淡萌黄)・同(より淡い)・紅。(萌黄は黄緑。松の葉と幹を表現)
紅の匂(くれなゐのにほひ):濃紅(濃紅)・紅(紅)・同・淡紅(淡紅)・上より淡く・紅梅。(紅梅は紫がかった薄ピンク)
紅の薄様(くれなゐのうすやう):紅(紅)・淡紅(淡紅)・上より淡く・白(白)・同・白
紅梅の匂(こうばいのにほひ):下より淡く・淡紅梅(淡蘇芳)・紅梅(蘇芳)・同・濃紅梅(濃蘇芳)・青(単は濃紅梅でもよし)
萌黄の匂(もえぎのにほひ):淡萌黄(淡萌黄)・上より濃く・萌黄(萌黄)・同・濃萌黄(濃萌黄)・紅。
淡萌黄(うすもえぎ):淡青(青)・同・同・同・同・紅
柳(やなぎ):白(淡青)・同・同・同・同・紅

十月一日より練衣綿入れて着る。(秋から冬) [編集]
白菊(しらぎく):濃蘇芳(白)・蘇芳(白)・同・淡蘇芳(白)・同・青。(蘇芳が入るのは移菊を表現したものか。現代皇室でも用いる)
黄菊(きぎく):蘇芳(蘇芳)・淡蘇芳(淡蘇芳)・同・淡黄(淡黄)・同・青。(単は濃淡の紅でもよし)
紅紅葉(くれなゐもみぢ):紅(紅)・淡朽葉(黄)・黄(黄)・濃青(濃青)・淡青(淡青)・紅(紅葉には似た名前でバリエーションをつけているものが多い)
櫨紅葉(はじもみぢ):黄(黄)・下より淡く・淡朽葉(淡朽葉)・紅(紅)・蘇芳(蘇芳)・紅(ハゼの紅葉を表現)
青紅葉(あおもみぢ):青(青)・淡青(淡青)・黄(黄)・淡朽葉(黄)・紅(紅)・蘇芳。(紅紅葉と似た色目で順を代えている)
楓紅葉(かへでもみぢ):淡青(淡青)・同・黄(黄)・淡朽葉(黄)・紅(紅)・蘇芳。(朽葉は黄赤。楓の葉が緑から赤へ移ろう様子を表現)
捩り紅葉(もぢりもみぢ):青(蘇芳)・淡青(紅)・黄(淡朽葉)・淡朽葉(黄)・紅(淡青)・紅(「捩り」とは表裏の色を逆にすること)

五節より春まで着るいろいろ(春) [編集]
紫の匂(むらさきのにほひ):濃紫(濃紫)・紫(紫)・同・淡紫(淡紫)・上より淡く・紅
紫の薄様(むらさきのうすよう):紫(紫)・淡紫(淡紫)・上より淡く・白(白)・同・白。(薄様は濃→淡→白のグラデーション)
裏陪紅梅(うらまさりこうばい):淡紅梅(紅梅)・同・同・同・同・青。(裏陪とは裏地が表地の同系色でより濃い色のこと)
山吹の匂(やまぶきのにほひ):朽葉(濃黄)・淡朽葉(黄)・同・上より淡く・黄(上の表地と同じ淡朽葉)・青
裏山吹(うらやまぶき):黄(濃朽葉)・同・同・同・同・青(「裏山吹」は「山吹」の色目を逆にしたもの)
花山吹(はなやまぶき):淡朽葉(黄)・同・同・同・同・青
梅染め(むめぞめ):白(濃蘇芳)・同・同・同・同・青(下の梅重が紅梅ならば、こちらは白梅か)
梅重ね(むめがさね):淡紅梅(淡蘇芳)下より淡く・同・紅梅(蘇芳)・紅(紅)・濃蘇芳(濃蘇芳)・濃紫。(単は青でもよし)
雪の下(ゆきのした):白(白)・同・紅梅(蘇芳)・淡紅梅(淡蘇芳)・より淡く・青。(「雪の下」は雪の下の紅梅の略)
紫村濃(むらさきむらご):紫(紫)・淡紫(淡紫)・より淡く・濃青(濃青)・淡青(淡青)・紅
二つ色(ふたついろ):薄色(薄色)・同・黄(紅)・同・萌黄(萌黄)・紅単重。(薄色は薄紫。単重は単を捻り重ねるもの。上に萌黄を重ねたり、色を増やすために紅梅をはさんだりする)
色々(いろいろ):薄色(薄色)・萌黄(萌黄)・紅梅(蘇芳女房)・黄(紅)・蘇芳(濃蘇芳)・紅(薄色はごく淡い紫、蘇芳女房は不明。別記事の混入か?この重ねは「桜躑躅」と称して「桜」の色目の袿「桜萌黄」の色目の小袿「樺桜」の色目の唐衣を着る事もある)

四月薄衣に着るいろいろ(夏) [編集]
菖蒲(せうぶ):青(青)・薄青(薄青)・白(白)・紅梅(蘇芳)・淡紅梅(淡蘇芳)・白。(緑・白・赤でショウブの葉と根の色を表す)
若菖蒲(わかせうぶ):青(白)・薄青(白)・薄青(紅梅)・白(淡紅梅)・白(上より淡い淡紅梅)・白。(「菖蒲」より淡い色調で若々しさを表現したもの)
藤(ふじ):淡紫(淡紫)・同・上より淡く・白(青)・白(淡青)・白。(単は紅でもよし)
躑躅(つつじ):紅(紅)・淡紅(淡紅)・上より淡く・青(青)・淡青(淡青)・白。(単は紅でもよし)
花橘(はなたちばな):淡朽葉(黄)・上より淡い朽葉(淡黄)・白(白)・青(青)・淡青(淡青)・白。(単は青でもよし)
卯花(うのはな):白(白)・同・白(黄)・白(青)・白(淡青)・白。(三の衣以降は裏地の色が表に透けたパステルカラー)
撫子(なでしこ):蘇芳(蘇芳)・淡蘇芳(紅)・淡蘇芳(紅梅)・白(青)・白(淡青)・白。(単は紅でもよし)
白撫子(しろなでしこ):白(蘇芳)・白(紅)・白(紅梅)・白(青)・白(淡青)・白(単は紅でもよし)
牡丹(ぼうたん):淡蘇芳(白)・同・同・同・同・生絹。(単に色の指定は無いが白であろうか?)
若楓(わかかへで):淡萌黄(淡萌黄)・同・同・同・同・紅。(単は白でもよし。夏ごろの青々した楓の葉を表現)
餅躑躅(もちつつじ):蘇芳(蘇芳)・淡蘇芳(淡蘇芳)・同・青(青)・淡青(淡青)・白。(モチツツジの花木を表現)
杜若(かいつばた):淡紫(淡紫)・薄色(薄色)・同・青(青)・淡青(淡青)・紅。(淡紫は薄色より濃い)
芒(すすき):蘇芳(蘇芳)・淡蘇芳(淡蘇芳)・同・青(青)・淡青(淡青)・白。
女郎花(をみなべし):女郎花(青)・同・同・同・同・紅。(女郎花は経糸が黄色横糸が青の織物。緑色がかった黄色)

2009年03月10日

マルセル・デュシャン

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス出身でのちアメリカで活躍した美術家。20世紀美術に決定的な影響を残した美術家である。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。ローズ・セラヴィ(Rrose Sélavy)という名義を使ったこともある。2人の兄、ジャック・ヴィヨン(Jacques Villon, 1875年 - 1963年)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp-Villon, 1876年 - 1919年)も美術家。

デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われる。デュシャンが他の巨匠たちと異なるのは30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことである。彼が没したのは1968年だが「絵画」らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以降は油絵を放棄した。その後、通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を続けていたが、これも未完のまま1923年に放棄。以後数十年間は「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表するほか、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせず、チェスに没頭していた。

彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑がある。晩年の1966年、ピエール・カバンヌによるインタビュー(『デュシャンは語る』ちくま学芸文庫)の中でデュシャンは「網膜的」な芸術への懐疑と嫌悪を明言している。

墓碑銘に刻まれた「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉も有名。寺山修司が好んだとされる。

1887年、ノルマンディー地方セーヌ=マリティム県ブランヴィルの裕福な家庭に生まれる。父は公証人。マルセルは7人兄弟の3男であった。マルセルは兄らの影響で少年時代から絵を描き始める。高校を卒業後、1904年パリに出てピュトー派の兄らと合流。兵役終了後、アカデミー・ジュリアンで絵画を学んだ。初期には印象派やフォーヴィスム風の作品や、『階段を降りる裸体』(1911年、1912年、1916年制作の3バージョン)のようなキュビスムと未来派の影響を受けた絵画作品もある。

1911年には連続写真を思わせる『汽車の中の悲しげな青年』を制作。翌1912年には出世作『階段を降りる裸体No.2』、『花嫁』などを描く。しかし、所属していたキュビスムを研究するグループの保守的な批判に憤慨し、個人製作に入る。この1912年に油絵を複数制作後、油絵をほとんど放棄する。
ドリーム ミリバ すぐき菜 ちそう パンプ ハーフ カバー しゃるどね リニュ バイオ カリソウ ノータック キシャー スモー スンドゥ ずっき じゅんか チンチラ ブタジ カーネ ロゴ チェック アクシオン ロメン 銀色の雨 マスタ ミーゴー パエリ きんあか ディン ワスプ ハロー ジスト パレード たーつぁい オテコ オープン たまりん ジャグ メラノ カーコン ツガWEB アプリ オービタル ハーフ ナビ夕立 エスアイ つくし プレイシ ハイブ

1913年2月-3月、ニューヨークのアーモリー・ショー(アメリカにおけるヨーロッパ現代美術の最初の大規模な展覧会)では仲間からは批判を受けた『階段を降りる裸体No.2』を含む4点が展示されて大きな話題となった。後半生にほとんど絵画作品を手掛けなかったデュシャンが有名であるのは、この『階段を降りる裸体No.2』の名声によるところが大きい。

渡米以後
第一次世界大戦中の1915年に渡米し米国籍を取得。アメリカにはウォルター・アレンスバーグ夫妻という、デュシャンのコレクターがおり、デュシャンの主要作品はほとんどがアレンスバーグの所有となって、フィラデルフィア美術館に一括展示されている。

1915年に制作が始められ、1923年に未完のまま放棄された、通称「大ガラス」は、デュシャンの仕事を語る上で欠かすことができない。これは、高さ約2.7メートルの2枚の透明ガラスの間に、油彩、鉛の箔、場所によっては「ほこり」で色付けをした作品である。この作品の構想や各部分の表わす意味については、難解で哲学的なメモ類(『グリーンボックス』など)が残っており、これらを分析することでデュシャンでなくとも「大ガラス」を再制作することが可能である。(実際に東京大学には「大ガラス」を再製作したものがある。)そのため、「ガラス」と「メモ」の両方を合わせたものが一つの「作品」であると考えられている。なお、作者自身はこの作品について晩年のインタビューで「何の考えもなく」つくったものと言明している。ガラスにはヒビが入っているが、これは意図的に入れた訳ではなく、輸送中の取り扱い不備によるものだが、デュシャンは意図しない「偶然」によって、作品に新たな要素が付け加えられたことを喜んだ。

2009年02月22日

庚申塔(こうしんとう)

申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。
オフチ ふくち ブラン ぶんかく プラント スマ フロック トトッ メタロ ダイオプ ブリキア パタゴニア ライン パラメータ ジューク ハンガー ビエン きつね ピラミッド ビールス バーテン トパバス パーマワ チュリア しろくま そうこ ハラーム ヒューズ デスバ ループ ティーツ ライブ イペリッ ナビオギ シーディ イザベ アカシア こじゅう オールロ ゼット パートナ リソース レサーチ シュツルー ケオキキ レモン ピッチ ラック まくわ トータル

庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習である。

庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。 同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、猿田彦神は道祖神とも信仰されるため、庚申信仰が道祖神信仰とも結びつくこととなった。さらに仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。

庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。これは道祖神など他の路傍の石仏にはあまりみられない機能であり、庚申塔の特色とされている。

庚申塔は全国的な分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られる。特に旧相模国を中心とした地域では数多くの庚申塔が建立された。なお相模国には日本ではじめて三猿が彫られた庚申塔(茅ヶ崎市輪光寺、市重要文化財)や青面金剛が彫られた日本最古の庚申塔などが残っている。

歴史
庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。当初は三猿像や青面金剛像を彫り付けたものが大多数であったが、しだいに「庚申塔」あるいは「庚申尊天」と文字のみ彫り付ける形式が増加する。

明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を勧めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。

現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである。田舎町へ行くと、今でも道の交差している箇所や村落の入り口などに、「庚申尊天」とかかれた石柱を全国で見ることができる。

2009年02月05日

ザ・キング・オブ・ファイターズ

『ザ・キング・オブ・ファイターズ』(THE KING OF FIGHTERS)は、1994年にSNK(現SNKプレイモア)がゲーム機「ネオジオ」で発売した対戦型格闘ゲームのシリーズ名、またその劇中で開催されている世界規模の格闘大会の名称である。元々は、同社の作品『餓狼伝説』の舞台である格闘大会。
ただみま まおい プロト 光の子 クロスス マンドゥク パロア 変革生活 ポケット コバンソ レスク 白い花 めんこ シュズ モンス ゼルス リュウ カイヤ ハマヒ フォーク ダイア モダリティ いきこう ジアル セーブル フロー ぴかいち さんめし しぎやき オーバ ナビ本陣 海のミネ ナビ朱鳥 NO1里芋 たきかわ にしめ ゾンデ ミストレス マート キシロース オルゴール ディーラム フライ カスタード ツリー 十三夜 フアラ くまざさ ノット クォーツ

公式な略称は、頭文字を取った「KOF(ケーオーエフ)」。SNKプレイモアはこれを商標登録している。熱烈なファンの間や、本作品の話題が会話の中心であることが明らかな状況では、末尾の年号やそのタイトル名だけでもコミュニケーションが成立する場合がある。

このシリーズ作品は、プレイヤーは3人一組(作品によっては4人一組)のチームを選択し、他のチームと勝ち抜き戦を行うというシステムである。

同時代に発売された格闘ゲームである『餓狼伝説』や『龍虎の拳』、80年代のアーケードゲームである『怒』、『サイコソルジャー』など、同社の看板ゲームのキャラクターが出場するドリームマッチという設定(『サムライスピリッツ』のキャラクターは世界観が合わないという理由で現在も登場していない)。その一方でKOFオリジナルキャラクターが高い人気を博し、SNKのキャラクター人気を牽引した。新作のたびにチーム構成を変え新たなキャラクターを登場させており、これまで登場したキャラクターは100人にも及ぶ。

1994年から毎年新作がリリースされているが、2001年はSNKの倒産にともないサン・アミューズメントが、2002年以降はプレイモア(現SNKプレイモア)が販売している。

本作で特筆すべき点はゲームは男性マニアに支持されているが、キャラクターでは女性人気が高いことである。草薙京とそのライバル八神庵は特に女性人気が高く、両者の関連グッズの購入者はほとんど女性である[1]。

中国・韓国における人気が特に高く、日本と同様のファン層を有している他、ゲームセンターでの対戦が日本より活況であり、日本における対戦大会で中国・韓国のプレイヤーが活躍することも少なくない。

格闘大会としてのKOF
ゲーム中の設定では、元々は『餓狼伝説』の登場人物、ギース・ハワードがサウスタウンにて開催していたストリートファイトにいつしかスポンサーがつくようになり、全世界にTV中継されるような大規模な格闘大会に発展していったもので、元々がストリートファイトであったための伝統から、試合会場はリングの上で行うようなことはほとんどなく、レフェリーこそいるが基本的には野外などで行われているとされている。

全世界が注目する格闘大会であるため、優勝チームには莫大な賞金と格闘家として最大級の栄誉が与えられる。しかし『平穏無事に終了したことは一度も無い』と言われるほど毎回決勝近くではトラブルが起こっている。これは大会主催者がルガール・バーンシュタインのような裏社会の権力者やオロチ一族のような存在だったり、ネスツといった秘密結社など後ろ暗い者達が大会を利用したりするためである。

出場する選手は大会の開催者が選んだ実力のある有名な格闘家(『餓狼伝説』や『龍虎の拳』の主人公チームなど)には招待状が届き、シードとして各地域の決勝トーナメントからの参加となる。小説版によればそれ以外の参加チームは予選が行われる。もっとも、大会主催者が悪意ある目的で特定の人間を参加させるために招待状を届けたり、自らの配下の人間を無条件に決勝トーナメントに進ませるために招待状を利用する事もある。

招待状はチームでなく個人に届くようであり、組むチームメイトは招待状が届いた格闘家が他のメンバーに招待状が届いた届いていないに関わらず勝手に決めていいらしい。これは一緒に住んでいる『龍虎の拳』のサカザキ一家には家族個人宛にそれぞれ招待状が届いていることや、女性格闘家チームや餓狼伝説チームのように、いつも組んでいたチームメイトが都合によって参加できないことが解ったため、困っていたところを偶然出くわしたり、通りかかった知り合いの格闘家に声をかけてチームを結成し、出場したことが公式ストーリー中で書かれているチームがあることから解る。なお、他人から奪い取った招待状でも有効と認められることがオロチチームのストーリーから判明している。

細かな大会のルールなどは判明していないが、少なくとも刃物を使った凶器攻撃と(一応格闘大会なので当然ではあるが)銃火器の使用は反則であることが小説版などで解っている。またムチや棍棒といった鈍器、超能力(手から炎や氷を出して攻撃したり、サイコパワーの使用や手刀を突き刺して体力を吸い取ったりする)は普通に認められている。

しかしイヤリングに爆弾をしこんだり、炎が出るように細工してある棍棒、巨大な鉄球や鋭いツメのついた手甲、クナイなどの暗器を使用する者や、はてはデザートイーグルを使用する者(小説版では威嚇の空砲と言ってるが)、銃火器を全身に仕込んだサイボーグといった存在そのものが反則にあたりそうな人物が平然と何度も参加していたりしている。

作品シリーズ
ナンバリングシリーズ
アーケード向けに開発・販売される、基本となるシリーズ。
THE KING OF FIGHTERS '94
1994年にMVSおよびネオジオでリリース。以降2003までは一貫してMVS/ネオジオを主なプラットフォームとしてKOFは展開する。
国ごとの代表8チーム。チームメンバーは固定でエディットは無し。ただし2004年12月28日にKOF10周年記念作品としてリメイクして発売されたプレイステーション2版『〜 RE-BOUT』ではエディット可能。基本は3対3でKOかタイムアップで交代、仕切りなおし。
操作系は『餓狼伝説スペシャル』をベースに、『龍虎』シリーズなどの要素を取り入れたもの。必殺技コマンドは基本的に出場元のゲームのままで、また超必殺技がインストラクションカードに書かれていない。
日本チームが主人公だが、1P側の初期カーソルはイタリアチーム(=餓狼伝説チーム)に、2P側の初期カーソルはメキシコチーム(=龍虎の拳チーム)に合わせられている。また基本操作の説明(HOW TO PLAY)もテリーとリョウが務めているが、開発スタッフからは「ぜひ京を出してくれ」と要望されたという。上記の対応はキャラクターの知名度を考慮したものだと考えられるが、『'95』からは主人公が説明役となった。また、ストーリーが軽視されがちな対戦格闘ゲームにおいて、チームとしての参戦理由をそれぞれ紹介するなど、キャラクターの背景やストーリー進行に対する工夫も見られる。キャラクターイラストはオリジナルの『'94』では森気楼が、『〜 RE-BOUT』ではヒロアキが担当した。
『〜 RE-BOUT』では、ネオジオ版と同じバージョンでもプレイできるが、リメイク版に合わせてか、ゲームセレクトの一部変更や基本操作の説明削除などの改訂が加えられている。また、コンティニュー制限が無い。
なお、主人公チームのコンセプトは『地震(大門)、雷(紅丸)、火事(京)、親父(柴舟)』であった。
出場キャラクター
チーム名(国) メンバー
主人公チーム(日本) 草薙京 二階堂紅丸 大門五郎
餓狼伝説チーム(イタリア) テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ
龍虎の拳チーム(メキシコ) リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア タクマ・サカザキ
怒チーム(ブラジル) ハイデルン ラルフ クラーク
サイコソルジャーチーム(中国) 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎
女性格闘家チーム(イギリス) 不知火舞 ユリ・サカザキ キング
キムチーム(韓国) キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ
スポーツチーム(アメリカ) ヘビィ・D! ラッキー・グローバー ブライアン・バトラー
エディット専用
(『RE-BOUT』のみ) 草薙柴舟
ボスキャラクター
(『RE-BOUT』のみ使用可) ルガール・バーンシュタイン

THE KING OF FIGHTERS '95
オロチ編(〜'97)の第1章。この作品よりチームエディットが可能になった。なお、この作品のみキャラクター選択時に「チームエディットしますか?」と問われる。設定で各キャラクターが「年を取った」のはこの作品のみで、以後年齢設定が固定された(出場を逃したアメリカンスポーツチームは復活した『'98』で1歳年を取っている)。
草薙京のライバルとして人気を不動のものにする八神庵がこの作品で初登場、オロチの力などが次第に語られ始めた。
新たに、カウンター攻撃(攻撃避け中に出せる専用攻撃)が追加された。連続技に繋げられるため、研究が進むうちにつれ強力な連続技が生まれた。今作からキャラクター間の相性システムが適用された。これは相性によって援護攻撃の可否が決まるしくみになっている。
バランス面では、パワーMAX時は攻撃力1.5倍・被ダメージ1.125倍になった。また、パワーMAX時はガードキャンセルを即座に使用できる、ハイリスクハイリターンのゲーム性。
しかしそのゲーム性とは裏腹にチームエディットなどの新たなシステムもあり、当時のSNKの評価を上げた。
ボスキャラクター二名が隠しコマンド入力によって使用可能。PS版では、同一キャラクター3人のチームも可能。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
主人公チーム 草薙京 二階堂紅丸 大門五郎
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア タクマ・サカザキ
怒チーム ハイデルン ラルフ クラーク
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎
女性格闘家チーム 不知火舞 ユリ・サカザキ キング
キムチーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ
ライバルチーム 八神庵 ビリー・カーン 如月影二
ボスキャラクター
(隠しとして使用可) 中ボス:草薙柴舟
最終ボス:オメガ・ルガール

THE KING OF FIGHTERS '96
大門とクラークを除くキャラクターの攻撃避けが廃止され、新たに緊急回避動作(前転後転)が導入。また、フロントステップがダッシュに変更された。ジャンプも小・中ジャンプが追加され、スピーディーなゲーム性になった。さらに、ガードクラッシュや投げ抜け、空中ガードなどが追加されるなど新機能の追加・廃止が目立った。前作では「待ちが圧倒的に有利」との声が多かったためか、飛び道具が大幅に削除・変更され、接近戦での攻めを主体とする戦闘形態を意識させる変更が行われている。また、本作から一部のキャラクターに複数の超必殺技が実装されるようになり、体力ゲージ点滅かつパワーMAXの状態で、高い威力と派手な演出に変化するパワーMAX超必殺技が使用できるようになった。
各キャラの必殺技コマンドが大幅に整理され、覚え易く入力し易く、化けや暴発が少なくなるよう変更が行われた(斜め上までの入力の廃止、コマンドの一部が被っていたキャラは入力向きやボタンを変更など)。特に餓狼、龍虎キャラの場合、原作そのままの「隠すこと、出しにくくすること自体を目的とした」超必殺技コマンドが変更され、KOFのゲームスピードにあった使い方ができるようになった。 しかし肝心のコマンド受付判定が異様に悪く(斜め入力に最低2フレーム以上必要など)筐体ごとに入力タイミングを変えなければならなかった。 バランス面でも修正がなされており、パワーMAX時における攻撃力は低下した。

本作からストーリーの分量が増え(ゲームの外で語られるチームストーリーも増加)、オロチ編のストーリーが本格化。オロチ編の鍵を握るゲーニッツや神楽ちづるといったキャラクターが登場し、ゲームコンセプトは「SNKキャラクターの夢の対戦」から完全にKOF独自路線へと移行した。また、ラウンド前に特定のキャラクター同士での掛け合いが追加された。
なお、ユリ、キングのサービスカット(脱衣KO)が本作から廃止された。
ユリの場合、時間切れ引き分けの時に肩部分を露出させるという演出があった(下着は見えない)。
その他演出面では、『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメ作品のパロディが散見される。
プレイステーション版では、主人公の草薙京を差し置いて、人気キャラクターの八神庵が単独でパッケージとしてデザインされている。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
主人公チーム 草薙京 二階堂紅丸 大門五郎
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア ユリ・サカザキ
怒チーム レオナ ラルフ クラーク
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎
女性格闘家チーム 不知火舞 キング 藤堂香澄
キムチーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ
八神チーム 八神庵 マチュア バイス
ボスチーム ギース・ハワード ヴォルフガング・クラウザー Mr.ビッグ
ボスキャラクター
(一部家庭用でのみ隠しとして使用可) 中ボス:神楽ちづる
最終ボス:ゲーニッツ

※ 専用デモ・エンディングあり

THE KING OF FIGHTERS '97
オロチ編最終章。
キャラクターの性質をアドバンストモードとエキストラモードの2種類から選べるようになった。CPU側キャラクターはアドバンストモードしか使用しない。
アドバンストモードの特色は、ゲージストックである。技を出す、攻撃を相手に当てることでゲージが溜まり、最大3つまでゲージをストックできる。ストックが一つでもあれば通常の超必殺技、ガードキャンセル緊急回避・同ふっとばしが使用できる。また、ストックを1つ消費することでパワーMAX発動、この状態で更にストックがもう1つあれば、パワーMAX超必殺技が出せる。このモードでは緊急回避動作(前転後転)が使用できる。なお、本作から緊急回避動作(前転後転)に避け機能が付加された。移動方法もダッシュ、大・中・小ジャンプと豊富である。
エキストラモードは、『'96』までと同様任意でパワーゲージを溜め、超必殺技及びパワーMAX超必殺技発動の条件も『'96』に準拠する。ただし、ジャンプは通常のジャンプと大ジャンプのみ、ダッシュではなくフロントステップ及び攻撃避けが使用可能であり、守備的に戦いたい人向けの仕様となっている。体力ゲージ点滅は今作から1/8に変更された。パワーMAX時のガードキャンセル回避に制限が加わった。
試合前演出やステージ間デモが世界規模の格闘大会のテレビ中継を感じさせる演出になっており、ステージBGMも歓声等の環境音によってのみ構成されている、シリーズの中でも特殊な音響演出が行われている。音楽としてのステージBGMは京、アテナなど特定のキャラクターの登場時しか使用されない。
'97スペシャルチームのメンバーはゲーメスト・ネオジオフリーク・ファミ通の3誌での投票で決まった。
開発者によると、ニューフェイスチームのメンバーは主人公チームの三人に対応するよう能力を設定したという。
本作では、必殺技・超必殺技のコマンド入力受け付けが緩く、簡易コマンドで出すことができる。ただし、キャラクターによっては、似たようなコマンドの必殺技があれば意図しない必殺技が暴発してしまうことがある。これにより、次作『'98』での一部キャラクターのコマンド変更につながった。
超必殺技使用時、画面が暗転して一時停止するようになった。これによりほとんどの超必殺技がコンボ、もしくは無敵時間を利用した対空・割り込みにしか使えなくなり、「パワーウェーブと見せかけてパワーゲイザー」等、立ち回りで使う事は難しくなった。また、飛び道具系のMAX超必殺技は強力な貫通能力が付加され、飛び道具系の超必殺技を貫通できるようになった。
「個人出場」としてエディット専用キャラクターが初登場。彼らのエンディングを見るには特殊なチームエディットをする必要がある(庵であれば京・庵・ちづるの「三種の神器チーム」、真吾であれば京を必ず入れ、三人目は庵・レオナ以外のキャラにする)。また、特殊なチーム構成でクリアするとエンディング後にチームのテーマに応じた専用の一枚絵が表示されるという隠し要素があり、これは『'99』まで受け継がれた。
本作では隠しキャラクターが多い。ボスキャラクターである暴走庵、暴走レオナ、オロチチーム、そして『'94』仕様の草薙京も使用できる。PS版などの家庭用では最終ボスのオロチも使用可能。
現在の『KOF』に繋がるゲームシステムは本作でほとんど完成していたが、隠しキャラの暴走庵・暴走レオナがプレイヤーキャラとしては極端に高い性能を有していることや簡単な永久コンボが存在し、ゲームバランス面の強化は後の『KOF'98』を待つことになる。ただし、中国では『'98』よりも『'97』が人気である。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
主人公チーム 草薙京 二階堂紅丸 大門五郎
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア ユリ・サカザキ
怒チーム レオナ ラルフ クラーク
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎
女性格闘家チーム 神楽ちづる 不知火舞 キング
キムチーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ
'97スペシャルチーム ブルー・マリー ビリー・カーン 山崎竜二
ニューフェイスチーム 七枷社 シェルミー クリス
エディット専用 八神庵、矢吹真吾
隠しキャラクター '94草薙京
乱入キャラクター
(隠しとして使用可) ツキノヨルオロチノチニクルフイオリ
ヤミノナカオロチノチニメザメルレオナ
中ボス
(隠しとして使用可) 乾いた大地の社 荒れ狂う稲光のシェルミー 炎のさだめのクリス
最終ボス
(一部家庭用でのみ隠しとして使用可) オロチ

THE KING OF FIGHTERS '98
フルタイトルは『THE KING OF FIGHTERS '98 -DREAM MATCH NEVER ENDS-』。家庭用としては、プレイステーション版とドリームキャスト版が発売されている。ただし、ドリームキャスト版の正式なタイトルは『THE KING OF FIGHTERS DREAM MATCH 1999』となっている。また、プレイステーション2版は、NEOGEO オンラインコレクション第10弾として2008年6月26日に発売された『THE KING OF FIGHTERS '98 -ULTIMATE MATCH-』にオリジナル版が収録されている。この作品は『'94』?『'97』までの集大成だが、『'97』でオロチ編が完結したため特にストーリーは設けられておらず、代わりに各キャラクターへのインタビューが存在する。そのため、KOF本来のSNKキャラクター夢の祭典といった傾向が強くなっている。
システムもここまでの集大成であり、対戦バランスは歴代KOF随一と言われている。システムは『'97』を踏襲し、主に変更・修正がなされた。投げ系必殺技・超必殺技の仕様が変更されコマンド入力時点で技が発動し、相手が投げ間合いにいない場合には空振りモーションが発生するようになった。EXTRAでは小・中ジャンプおよびカウンター攻撃が追加され、ADVANCEDではMAX超必殺技を使用した場合にパワーMAXが解除されるようになった。ゲージシステムも改良され、ADVANCEDは一人倒されるごとにアドバンテージとしてゲージのストック数が一つずつ増え(最大で5つ)、EXTRAはゲージが短くなる。
国内最大規模の対戦格闘ゲーム大会である「闘劇」の2007年度大会「闘劇'07」の競技タイトルの一つに選ばれている。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
主人公チーム 草薙京 二階堂紅丸 大門五郎
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア ユリ・サカザキ
怒チーム レオナ ラルフ クラーク
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎
女性格闘家チーム 神楽ちづる 不知火舞 キング
キムチーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ
オロチチーム 七枷社 シェルミー クリス
'97スペシャルチーム ブルー・マリー ビリー・カーン 山崎竜二
八神チーム 八神庵 マチュア バイス
おやじチーム ハイデルン タクマ・サカザキ 草薙柴舟
アメリカンスポーツチーム ヘビィ・D! ラッキー・グローバー ブライアン・バトラー
乱入キャラクター 矢吹真吾
エディット専用 ルガール・バーンシュタイン
隠しキャラクター 乾いた大地の社、荒れ狂う稲光のシェルミー、炎のさだめのクリス、裏テリー・ボガード
裏アンディ・ボガード、裏ジョー・ヒガシ、裏リョウ・サカザキ、裏ロバート・ガルシア
裏ユリ・サカザキ、裏不知火舞、裏ビリー・カーン、'95草薙京
ボスキャラクター
(家庭用でのみ使用可) オメガ・ルガール

2009年01月21日

サイモン(独語読み:ジーモン)

サイモン(独語読み:ジーモン)・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal、1908年12月31日 - 2005年9月20日)は、ドイツのナチスの戦犯追及で知られるオーストリア人ユダヤ教徒である。

ヴィーゼンタールは、現在ウクライナの一部となった元オーストリア・ハンガリー帝国領のガリツィア地方のブチャチに生まれた。当時、彼の名前は Szymon Wiesenthal(シモン・ヴィーゼンタール)と綴られている。地元のリヴィウ工科大学に進学を希望したが、ユダヤ人入学枠の制限から入学できず、プラハ工科大学に進んだ。

ホロコースト
第二次世界大戦前は建築家を志していたが、第二次世界大戦が始まるとナチス党率いるドイツのユダヤ人迫害政策によって強制収容所に収容された。その後、ヴィーゼンタールは夫人を始めとする家族を失った他、親族のうち計89人がホロコーストの犠牲となった。しかし自身は1945年5月のアメリカ軍によるマウトハウゼン強制収容所解放まで生き残った。

ナチ戦犯の追及
第二次世界大戦後、ヴィーゼンタールとウィーンに本拠を置くユダヤ人迫害記録センターは、戦時中ドイツに協力的であったバチカンやフランシスコ会などの協力の下に、世界中に逃亡したナチス戦犯の捜索に動き出し、1962年にはイスラエル諜報特務局に情報提供してアルゼンチンに潜伏中のアドルフ・アイヒマン逮捕に寄与した。

ヴィーゼンタールはその行動力と情報網を駆使し、アンネ・フランクを強制収容所に送り込んだゲシュタポのカール・ヨーゼフ・ジルバーバウアーの逮捕にも協力した他、多くのナチス戦犯の逮捕に寄与した。また、多くの妨害を受けながらも、マルティン・ボルマンやヨーゼフ・メンゲレなどの戦犯を追い続けた。

また、ヴィーゼンタールは1970年代にオーストリアでブルーノ・クライスキーが内閣を組閣する際、数人の大臣が過去にナチス党員だったことを指摘した。これに対してクライスキーは、自身がユダヤ人だったため、ヴィーゼンタールを「身内の悪口を言う人」として非難した。

ヴィーゼンタールは1977年に、サイモン・ウィーゼンタール・センターをアメリカ合衆国のロサンゼルスに設立した。これは「ホロコーストの記憶を風化させないための施設」とされ、逃亡中のナチス戦犯の情報を集約するセンターとしての役割もあった。

引退
2003年4月にヴィーゼンタールは引退を発表した。『私は生き残った全ての戦犯を見つけだした。もし生き残っている者がいれば、彼らは年を取りすぎて今裁判を受けることは出来ないだろう。私の仕事は終わった』と語った。ヴィーゼンタールによれば、まだ生きているただ1人のオーストリア人戦犯はアイヒマンの片腕だったアロイス・ブルナー(1912年生まれ)で、シリアに隠れていると言われている。

ヴィーゼンタールの引退後の2004年2月に、イギリス政府は「人間性のための一生の奉仕」に対してという名目で、ヴィーゼンタールに名誉ナイトの称号を与えることを決定した。

死去
2005年にヴィーゼンタールはウィーンの自宅で老衰で死去した。96歳であった。生涯で約1100人のナチス戦犯の逮捕に貢献したといわれている。ヴィーゼンタールの訃報を聞いたイスラエルのモシェ・カツァブ大統領は、ヴィーゼンタールを「この世代の最も偉大な闘士」と呼んで称えた。しかしヴィーゼンタールの業績については生前から通説や彼自身の主張について疑問を呈する意見も多く、今後の研究が待たれる。
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なお、サイモン・ウィーゼンタール・センターやユダヤ人迫害記録センターは、ナチス戦犯追及やホロコーストを風化させないための機関であったはずであるが、殆どのナチス戦犯が鬼籍に入ってしまった現在は、ユダヤ人差別やユダヤ陰謀論、そしてそれと思わせる事柄に対しての介入や圧力、そしてイスラエル擁護を行っていることから、「単なる言葉狩りのための機関に成り下がっている」という意見もある。

小説
アイラ・レヴィンの小説『ブラジルから来た少年』の登場人物の『エズラ・リーベルマン』は、ヴィーゼンタールがモデルとなっている。また、フレデリック・フォーサイスの小説『オデッサ・ファイル』でもドイツ人ジャーナリストに情報を与える役で登場している。

2009年01月14日

戦史として記録にとどめた例も後を絶たない

歴史を紐解くと、世界に戦争が絶えたことがないことはいうまでもなく、それを戦史として記録にとどめた例も後を絶たない。しかしそうした戦史というジャンルを超えて軍事思想のレベルまで高められた例は数少ない。少なくとも近代以前においては稀だったといってよい。『孫子』はその数少ない例の一つであり、そのうちで最も知られ、且つ影響力を持った著作であるといっても過言ではない。

『孫子』は、「孫・呉も之を用いて、天下に敵無し」(『荀子』議兵篇)、「孫・呉の書を蔵する者は、家ごとに之れ有り」(『韓非子』五蠧篇)ということばから分かるように、すでに戦国時代後期には古典としての地位を確立していた。ちなみに「呉」とは同じく兵法書である『呉子』を指す。

ダイビ ワサビン ナンピン ライトウイ ブーケ ラケット スーパ スキッダ プラネット 組曲 ナイロン リテラ オーベル シェアリ 白鳳支援 ムート ふるさと ジャパニ キチネッウ ヌビア てかばん クロア パート ラザーニャ ファイター ナポレオン ファタ ウコン パワー ブース ロビューム クーペ ラゴス ユグノー チラム トラサ あわせばお アカ パンフレット スパン バドミン ミレー フルー ミリーカー スカイプ ファン トリプ ハジ カソード シノニム

ただ『孫子』は、儒教が長い間王朝のイデオロギーであった間は諸子に分類されて異端の書として扱われ、中国の知識人からは重視されてこなかった。漸く注目を浴びだしたのは、清朝考証学の隆盛により諸子学という分野が形成されてきてからである[2]。18世紀中葉、考証学者孫星衍が『孫子』の版本を復刻している。しかしそれも版本や字句の異同など考証学的関心からのアプローチが専らであって兵学や孫子の思想そのものに興味関心が集まったわけではなかったのである。実践、つまり戦争への応用は現代まで待たねばならない。

現代での戦争において積極的に活用した例としては毛沢東がある。彼は日中戦争の最中、どうすれば中国国民党に勝ち、日本に負けず、そして国民の支持を得られるかを考え抜き、中国古典の特に『孫子』と歴史書から大いに学んでいる。その代表的著作である『矛盾論』や『持久戦論』などには5ヶ所ほどその書名を挙げて引用しているほどである。

海外への伝播
そしてそれはやがて海外にも伝播していくことになる。日本への影響については後に詳しく述べるとして、まず中国以外での受容を著名人に限って挙げていくと、まず指を屈するのはナポレオン・ボナパルトである。ナポレオンは宣教師に訳させた孫子を愛読し、戦場では常に手放さなかったという。また、ナポレオンのとった戦略、戦術には孫子の影響が見られる。この他ヴィルヘルム2世やベトナム独立に生涯を捧げたホー・チ・ミンなども『孫子』を読んでいる。

『戦争論』との比較
こうした世界への伝播によって、『孫子』が広く知られるようになるとカール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』と比較する機運が生まれてきた。それは二度の世界大戦への反省に付随して起こってきたものだった。というのも、『戦争論』はナポレオン戦争の教訓に学んで著された書物であり、決定的会戦の重視や敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒を基本概念として戦争を論じていることが特徴である。すなわち軍事力の正面衝突を戦争の本質とするため、戦争遂行をそれに則り行った場合国家間の凄絶な総力戦とならざるを得ない。それが現実となったのが世界大戦であった。戦争の総力戦化に対し無用の血が流されすぎたという反省が生まれると共に、『戦争論』への懐疑が生まれた。『孫子』はその比較対象として持ち出されたのである。

『戦争論』を批判し、一方で『孫子』を称揚した人として最も著名なのは、イギリスの軍事史家のリデル・ハートである。その代表作『戦略論』の巻頭には『孫子』からの引用が散りばめられ、またフランス語訳『孫子』によせた序文で、『孫子』を、古今東西の軍事学書の中で最も優れていると評価している[3]。ハートは『孫子』を持ち上げることで、今後の戦争は直接的な戦闘よりも策略・謀略を用いた間接的戦略を重視すべきであると説いたのである。そのためクラウゼヴィッツの『戦争論』の人気は一時期イギリス・アメリカにおいて凋落したという。

しかし現在ではこうしたハートのごとき『孫子』を極端に礼賛し、『戦争論』を評価しないような姿勢は訂正されつつある。ハートのクラウゼヴィッツ批判のいくつかは、彼の誤解に基づくと考えられるようになっためである。現在では『孫子』・『戦争論』とも高級指揮官教育において不可欠な教材とされ、アメリカ国防総合大学校やイギリス王立国防大学校をはじめとする各国の国防関係の教育機関で研究されている。

現代戦略理論との関わり
現代の戦略理論であるゲーム理論で以下のことが証明されている。すなわち、二人零和有限確定完全情報ゲームの解は、ミニマックス理論である。

孫子が主張するように勝利を目的に敵対する双方が、情報の収集をできるだけおこなう・戦力の集中などの工夫で戦闘結果の必然性を増す・冷徹な判断を行う・中立する組織への対応の工夫、などの戦争の合理性をとことん追求していくと、ミニマックス理論が成り立つような状況に限りなく近づいていく。

このように、孫子は現代戦略理論でも注目されている。

『孫子』と日本

日本への伝来
『孫子』が日本に伝えられ、最初に実戦に用いられたことを史料的に確認できるのは『続日本紀』天平宝字 4 年 (760) の条である。当時反藤原仲麻呂勢力に属していたため、大宰府に左遷されていた吉備真備のもとに、『孫子』の兵法を学ぶために下級武官が派遣されたことを記録している。吉備真備は23歳のとき奈良時代に遣唐使として唐に入国し、41歳で帰国するまで『礼記』や『漢書』を学んでいたが、この時恐らく『孫子』・『呉子』をはじめとする兵法も学んだと推測されている。数年後に起きた藤原仲麻呂の乱では実戦に活用してもいる。

律令制の時代、『孫子』は学問・教養の書として 貴族たちに受け入れられた。大江匡房は兵学も治めていたが、『孫子』もその一つであり、源義家に教え授けている。この時期は吉備真備のような例があるとはいえ、『孫子』などの兵学はあくまで理論・教養として学ばれたのみであって、積極的に実戦において試されたというわけではなかった。

武士の受容
平安貴族に代わって歴史の主役に躍り出た武士たちも、当初は『孫子』を活用することは無かった。中世における戦争とは個人の技量が幅をきかす一対一の戦闘の集積であったためである。『孫子』のような組織戦の兵法はまだ生かされることは無かった[5]。しかし 足軽が登場し、組織戦が主体となると『孫子』は取り入れられるようになっていく。幾人かの戦国武将には容易にその痕跡を見出すことができる。中でも、武田信玄が軍争篇の一節より採った「風林火山」を旗指物にしていたことは有名である。

兵学の隆盛―近世―
徳川幕府が天下を治めるようになる時期と兵学と呼ばれる学問が隆盛を迎える時期は合致する。天下泰平の世には実戦など稀であるが、かえって戦国時代に蓄積された軍事知識を体系化しようとする動きが出てきた。それが兵学(軍学)である。それに比例して『孫子』を兵法の知識体系として研究する傾向が復活する。そのため江戸時代には50を超える『孫子』注釈書が世に出るのである。これには中国からの刺激も影響している。たとえば中国明・清両時代に出た注釈書が日本に伝わり、覆刻されている。劉寅の『武経直解』や趙本学の『孫子校解引類』(趙注孫子)が有名である。また日本人の手になるものも多くでた。林羅山『孫子諺解』や山鹿素行『孫子諺義』、新井白石『孫子兵法択』、荻生徂徠『孫子国字解』、佐藤一斎『孫子副註』、吉田松陰『孫子評注』らのものが代表的であるが、このうち素行と徂徠のものは特に有用といわれている。

近代以後
明治以降、日本は近代的兵学としてプロシア流兵学を導入し、それに基づき軍事力を整えていった。しかし『孫子』の研究は途絶えることなく、個人レベルで読み継がれていったのである。たとえば日露戦争においてバルチック艦隊を破った東郷平八郎の丁字戦法採用の背後には、『孫子』の「逸を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ」(軍争篇)のことばがあったと言われる。

しかし時代が下るにつれ、海軍・陸軍ともに『孫子』が学ばれることは少なくなっていく。近代的兵学に圧倒されていった為である。武藤章陸軍中佐が「クラウゼヴィッツと孫子の比較研究」(『偕行社記事』1933年6月)を発表しているものの、研究が盛んであるとはいえない状況であった。しかも武藤はクラウゼヴィッツを「戦争の一般的理論を探求して之を演繹し或は帰納して二三の原則を確立せんとす」と結論づけ普遍性があると批評するのに対し、『孫子』に対しては、その書かれている内容は遙か以前の、中国国内のみを対象としているため「普遍性に乏しき憾あり」と述べ、前述のリデル・ハートとは逆の感想を抱いていることが読み取れる。

学問的世界では近代的な考証が積み重ねられ、『孫子』の真の著者は誰かといったテーマが日中共に上記のように論じられた。そんな中で1972年に山東省銀雀山から、『竹簡孫子』や『孫臏兵法』が発見されたことは大きなニュースであり、これにより大きく研究が進展したのである。

戦後は、『孫子』が復権し教養ブームに乗って広く読まれるようになり、現代でも(ビジネスなどの戦略においても)通用するとされ、解説書が数多く出版されている。